上がると信じる理由

太陽は明日も昇るだろうというのは一つの仮説である。すなわち、われわれは太陽が昇るかどうか、知っているわけではない。(論理哲学論考、ウィトゲンシュタイン、野矢茂樹 訳)

この文章が好きだ。

これは論理の限界についての厳密な指摘であって、その範囲を超えて安易にアナロジーとして使用していい文章ではない。それでもこの言葉を借りたい。帰納的に導かれた様々な暗黙の前提についても同じことが言えると思う。例えば

  • 地球の平均気温が上昇し続けていること
  • 世界の株式市場全体の時価総額が長期的に増加し続けていること
  • 人類の経済活動が今後も成長を続けていくであろうこと。

これらはすべて、「過去の観測結果を基にした帰納的な推論」にすぎない。
将来についての断定など、誰にもできない。それでも、私たちはそうなると“仮定して”日々の意思決定を積み重ねている。

もちろん、「太陽が明日も昇る」のと、「経済が今後も成長する」のとでは、予測の精度にも信頼度にも重要度にも雲泥の差がある。太陽はたいてい昇るし、登らなければ経済活動どころではない。惑星の運動法則には、少なくとも今のところ、人間の都合や気まぐれは影響しない。

一方、経済成長はどうか。戦争、インフレ、バブル崩壊、利上げ、デフォルト、SNSでの風評、そして「市場はすでにこれらを織り込み済みである」。どういうことだ。

それでもいずれも「分のいい賭け」ではあると信じている。少なくとも私はこの「勝率の高そうな仮説」という船を信じている。泥舟かもしれないがまだ気づいていない。

結局のところ、経済成長という仮説を信じて商品を持ち続けるしか無い。負けたら泣けばいい。いや、勝つまで持ち続ければいい。そうして塩漬けが出来上がる。心せよ。

You May Have Missed